熊本県人吉市 社会福祉法人 善隣福祉会 善隣保育園

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裸マラソンとともに

善隣保育園は昭和39年4月1目、熊本県人吉市瓦屋町に開設された。時代は戦後復興を経て、東京オリンピックを目前に控えた高度経済成長の真っ只中であった。この頃はまだ、保育所をはじめとする社会福祉の整備は、欧米先進国に比べて格段に遅れをとっており、福祉の概念そのものが国民にも十分に理解されていなかった時代である。
そんな中、善隣保育園初代園長である故岡田清一〔大正2年(1913)~昭和61年(1986)〕は長年の志であった学校設立に漕ぎ着ける。

清一は生前、園児たちに宮沢賢治の代表的な詩『雨ニモマケズ』を暗唱させていた。「雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも負けず、丈夫な体を持ち欲は無く、決して怒らずいつも静かに笑っている……」の件である。保育目標である「じょうぶなからだ、やさしいこころ」は、清一の敬愛した宮沢賢治の詩を一言で表したものであり、それを体現したのが『裸マラソン』であったのだ。

清一の「春には花が咲き、実なる秋が来るように……」との思いが込められた裸マラソンは、春夏秋冬真夏の照りつける太陽の中でも真冬の小雪舞う日も毎朝の日課となった。特に年長児は山田川の堤防沿いを毎朝約1㎞走ることになり、年間でみると大変な距離を走ったことになった。

その効用か、「冬場に薄着でも風邪をひきにくくなった!」など身体が丈夫になる園児が増加した。また、幼児期に過保護にされないことで、身体のみならず精神のたくましさも園児たちは身につけて巣立っていった。

その後、昭和55年2月に清一の発案で、反対意見も多い中、第1回裸マラソン大会が実施された。当日は霜の深い本当に寒い日で、大会の集合時から泣く子は出るは、鼻水を流す子はいるはで保護者の心配はピークに達した。だが、そんな保護者の心配はよそに園児たちは一年間走り込んだ成果を十分に発揮し、全員完走したそうである。

以降、裸マラソン大会は毎年2月に善隣の一大行事となっていき、毎年のようにテレビ局や新聞社が取材に来るほど人吉の冬の風物詩となったのである。また、卒園児の中には正月の風物詩である「箱根駅伝」に出場し、区間2位の力走を見せた選手もいた。

善隣保育園は、裸マラソンとともに歴史を刻んだのである。


昭和46年1月ごろの雪化粧した初代保育園園舎と正門。前年の昭和45年に2代目園舎が新築されてすっかり影が薄れていたが、この後少林寺拳法人吉道院の道場として現園舎(3代目)改築まで活躍した。写真の正門は、現在では盛り土をされて現東門となっている。

昭和50年頃の朝の裸マラソン。初代園長も上半身裸で園児たちを鼓舞する。後方の鶴亀橋と山田川は、時を経た現在も園児の力走を悠然と見つめている。

昭和61年2月の裸マラソン大会。この1か月後、初代園長岡田清一は逝去した。しかし、裸マラソン大会は現在でも清一の遺志を継いで毎年実施されている。